提供者:Nacho Juárez

「故きを温ねて新しきを知る」という言葉があります。

これは「原点にもどって発想する」という意味合いで、「古くから語り継がれてきた教えは決して色あせることなく何千年の時を経ても輝きを続けて人を救い、励ましてくれるもの」であることに気づかせてくれます。

私が大切にしている言葉の一つです。論語は「英知の宝庫」です。

また新年号に伴い、渋沢栄一の「論語と算盤」が注目されましたね。

私もソーシャルワークや福祉の道に進む中で、論語について以前より「見える」ようになったと感じております。

さて、今回は日本の救貧制度について学んでいきたいと思います。

今でいう生活保護制度は、辿ると1874年「恤救規則」から始まります。(読み:じゅっきゅうきそく)

この恤救規則からの流れを知ることで、「本質」が少し見えてくるのではないでしょうか。

「学べば則ち固にならず」です。

それでは確認していきましょう。

恤救規則について

恤救規則とは

1874年に恤救規則というものができます。

「恤救」という言葉は「貧しい人を救う」という意味です。

この恤救規則はイギリスの救貧法を参考にされております。(イギリスの救貧法については後日書きたいと思います。)

「法」ではなく「規則」という言葉が入っているのは、まだ帝国議会(国会)がない時代で、これを基準として全国各地方で事務を執り行うこと意味しております。

また恤救規則の一番の特徴は「人民相互の情誼(じょうぎ)」です。

これは「貧しい人々がいる場合にそれを救済するのは、まずは家族、親族そして隣近所の地域社会が、血縁・地縁に基づいて行うべきもの」とされております。

このように血縁や地縁、地域社会の重要性をまず挙げております。「地域共生社会」というものは、実はまさに「故きを温ねて新しきを知る」ではないでしょうか。

日本の歴史はここ約100年が主にピックアップされがちでありますが、日本は世界的に見えても歴史が深い「大和の国」です。

それこそ神武天皇が即位した紀元前660年からこれまでという時は2020年ではなく、2680年という月日になります。

今でこそ「国が救済する」ことが当たり前となった世の中ではありますが、それは長い歴史の中で言えば「新しい概念」であることを感じ取ってもらいたいと思います。

救済の対象と手段

この恤救規則は「人民相互の情誼」ともう一つ「無告の窮民」(読み:むこくのきゅうみん)というキーワードがあります。

まず恤救規則による救済の対象について

①廃疾(重度の身体障害者のこと)

②70歳以上の高齢者

③重病人

④13歳以下の児童

これらを救済の対象としました。しかし条件つきです。

その条件とは「無告の窮民」であることです。無告の窮民は「身寄りのない貧困者のこと」です。

もしどこかに親族がいるのであればその者によって扶助が行われるべきだという概念でした。

したがって「独身」「労働不能」「極貧の者」という条件つきで「無告の窮民」を救済としたものがこの「恤救規則」となります。

またこれらの人々の救済手段として「米代の現金支給」が行われました。時代は明治時代なので「米の現物給付」ではありません。

「1年分で米1石8斗、重病人の場合は1日に米男3合、女2合で計算せよ」というものだったようです。

1石 = 10斗 = 100升 = 1000合

単純に1日3合を365日で計算すると1095合になります。

また1石は人が1年で消費する米の量と言われていたそうです。

参考:「一斗」「一石」「一合」「一升」…どのぐらいの量でどれが一番多いかわかりますか?

このように人民相互の情誼のもと、無告の窮民を救済した恤救規則は、1929年の救護法ができるまで約60年間行われておりました。国による救貧制度はこの恤救規則のみでした。

ただそれだけでは当然不十分であったので、民間がそれを補う役割を担っておりました。

渋沢栄一も若くから慈善事業に力を入れておりました。石井十次、野口由香、留岡幸助、池上雪枝、原胤明、石井亮一などなど多くの方が「民間の力」で支えていたのです。

このように歴史を辿ると、国による救済は恤救規則という極めて限定的な救貧制度しかなく、多くは民間の力によって貧民や孤児等の社会的に弱い立場にいる人たちを支えていたのです。

救護法と戦時立法について

救護法について

恤救規則から半世紀ほど経過し、1929年に救護法が制定されます。

しかしこの間、恤救規則に代わる法案が幾度も出されましたが全て廃案になっていることも注目する点です。

・1890年:窮民救助法案 → 廃案

・1897年:恤救法案、救貧税案 → 審議されることなく廃案

・1898年:窮民法案(板垣退助) → 内務省案として作成、帝国議会には提出されず

参考:明治期の窮民救助法案に含まれる福祉の考え方

・1902年:救貧法案 → 委員会審議で廃案

参考:種村剛 救護法 http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ki_kyugoho.html

となっております。

特に1890年の窮民救助法案は廃案されましたが、もし制定されていれば日本は世界でも近代的な救貧制度となったという観点もあり興味深いものもあります。救済の在り方を国から地域主体に変えることを意図していたことが盛り込まれているようです。

またその他救貧法が制定されるまでの出来事としていくつかあげていきます。

◇主な出来事

・日露戦争(1904年~1905年)

・第一次世界大戦(1914年~1918年)

・米騒動(1918年)、原敬内閣

・戦後恐慌(1920年)

・関東大震災(1923年)

◇主な制度

・感化法が制定(1900年)

・工場法が制定(1911年)

・済世顧問制度(岡山:1917年)、ドイツのエルバーフェルト制度を参考

・方面委員制度(大阪:1918年)、ドイツのエルバーフェルト制度を参考

・内務省に救護課1917年 → 社会課1919年 → 内務省社会局1920年

・健康保険法が制定(1922年)

◇書籍・連載

・横山源之助の「日本之下層社会(1899年)」刊行

・河上肇の「貧乏物語(1916年)」連載

このような出来事がありました。

そして1929年に救護法が制定(施行は1932年)され、恤救規則から救護法へと移り変わるのです。

救護の対象と種類

救護法は恤救規則と比較すると救済の範囲が拡大されました。

◇救済の対象

①65歳以上の老衰者(恤救規則では70歳以上だった)

②13歳以下の幼者

③妊産婦

④不具廃疾、疾病、傷痍その他精神または身体の障害にり労務を行う故障ある者

◇救護の種類

①生活扶助

②医療

③助産

④生業扶助

◇原則

・居宅介護(現在も介護保険のサービスの約8割以上が居宅サービス)

◇居宅介護が難しい場合

・養老院(養護老人ホームの前身)

・孤児院(児童養護施設の前身)

・病院等

◇実施者

・市町村長

◇救護費用

・救護費用の2分の1位内を国庫が補助(現在の生活保護制度は国は4分の3を補助)

このように対象を拡大、責任の明確化、養老院や孤児院の施設による国の救済が明確化されました。

恤救規則では1931年で約2万人足らずであったのに比べ、1932年救護法施行で約15万人と増加、1937年はピークで約23万人と増加していったとのことです。

ただ一方で救護法の制定により、これまで民間が救済するという従来の在り方から、国が救済するという方向へと時代が移り変わっていくのです。

戦時立法について

救護法が制定された後、日本は1931年に満州事変、その後日中戦争、太平洋戦争と大きな出来事を迎えます。

当時は国の戦争に関与された人やその家族の生活保障が問題となりました。

そこで戦時特別立法が制定されていきます。

◇戦時特別立法

・軍事扶助法(1937年)

・母子保護法(1937年)

・医療保護法(1941年)

・戦時災害保護法(1942年)

戦前の日本は国力を大きくするために生産力と戦力を拡大することが課題でした。

また保険制度や年金制度というものも戦前にはじまります。

◇保険・年金制度

・国民健康保険法(1938年)※日本で最初は1922年健康保険法

・労働年金保険法(1941年)→厚生年金保険法に改正(1944年)

厚生労働白書:第2章 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/06/dl/1-2-2.pdf

実は保険・年金制度は戦前から始まっているのです。(※まだ皆保険、皆年金ではない)

このように戦時立法ができたことにより救護法の地位は低下していったのです。

以上ここまでが第二次世界大戦前の救貧制度の流れとなります。

まとめ

恤救規則から救護法制定の流れは奥深いものがあります。

キーワードをまとめると

・恤救規則:人民相互の情誼のもと無告の窮民を救済の対象とした

・恤救規則から救護法制定までの世の中の動き(戦争や米騒動、慈善事業等)

・救護法制定により救済の対象が拡大される、責任の明確化

といった流れがあります。そして後に旧生活保護法、現生活保護法へと移り変わっていくのです。

私自身もある方から「本当にいい政策は民から官である」という教えをいただきました。

そこから石井十次をはじめ、慈善の時代に興味を抱くようになりました。そこに福祉の本質というものが見えるのではと思っております。

「恤救規則、あれがそもそもダメだったのか疑うところからはじめる」

それを追求していくことが我々の実践でもあるのではないでしょうか。

「地域での支え合い」が大切な世の中になりました。

これらは元来あった血縁・地縁の良さを再度国民が思い起こす時代とも言えるでしょう。

令和という時代は人類史にとって大きな変革を遂げる節目となることを予感させます。

ここまで歴史を築いてくれた果てしない人の功績に感謝し、自然や歴史に生かされていることを感じ、1日1日を大切にしたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

「故きを温ねて新しきを知る」でした。

次回もまたよろしくお願いいたします。

参考文献 社会福祉政策 坂田周一著 有斐閣アルマ

第4章 公的責任の確立と生活保護制度 1 第二次世界大戦前の救貧制度

もしよろしければこちらも合わせて是非ご覧ください。

こちらではソーシャルワークの起源についてまとめております。

おすすめの記事