提供者:Negative Space

本日はブースとラウントリーの貧困調査についてまとめていきたいと思います。

この2つは歴史に残る調査として有名です。貧困の実態を明らかにしました。

しかし注目するべくは、2人とも経済活動で得た資金を社会のために回したという点がポイントになります。

この2人の姿勢からは将来の施策へのヒントが隠れているのかもしれません。

それでは確認していきましょう。

ブースについて

ブースとは

ブース(本名チャールズ・ブース)は汽船会社を創設し実業家として大きな成功を収めました。

そんな中、「社会民主党(SDF)」が1885年に「4分の1以上の者が貧困である」という調査結果を出しました。その調査結果にブースは疑問を感じたとのことです。

そして自身の私財を投入し、約100万世帯の大調査をロンドンで行ったのです。

調査では「貧困調査」の他に「産業調査」、「宗教的影響力の調査」の大きく3つが行われました。

1892年には「ロンドンにおける民衆の生活と労働(全9巻)」が出版され、第2巻では地区に住む貧困階層を色分けした「貧困地図」というものも作成されたとのことです。

ロンドン調査は有能な協力者にも支えられ、歴史に残る調査としてこのように現代にも語り継がれております。

また、ブースはコントの実証主義に強い影響を受けていました。

コントはフランスの社会学者で、著書には「実証哲学講義」があります。

コントは「フランス革命後の社会の無秩序を収給させる」という強い意志を掲げていたそうです。

その他にもコントは「人間の精神が神学的、形而(ケイジ)上学的、実証的という三段階を経て進化していく」という三段階の法則を提唱しました。

このようにコントの影響を受けた者は多く、ブースもそのうちの一人だったということです。

参考資料:清水幾太郎のオーギュスト・コント解釈~社会的現実と「歴史哲学」への志向をめぐって-庄司武史https://core.ac.uk/download/pdf/144446086.pdf

ブースの貧困調査

ブースはロンドンにて当時400万人を越える市民を調査しました。

これは全数調査と呼ばれる分類に入ります。日本で例えると「国勢調査」が全数調査にあたります。信頼性としては最も高い調査となります。

ちなみに全数調査でない調査として「標本調査」があります。これは母集団の中から一部を取り出して調べます。住民アンケート(例:全市民から○○〇人を対象として実施の場合など)や街頭アンケートなどはこちらに分類されます。

また調査方法には、訪問調査や郵送調査などありますが、ブースは「訪問調査」で実施しました。

全数調査を訪問調査で行う」ということで多大な費用をかけて調査が行われたのです。

これは社会問題の解決を目指した調査ということで、「社会踏査(トウサ」とも呼ばれます。

ブースの貧困調査はロンドン市民を「地域調査」と「職業調査」という2つの調査から、生活条件労働条件についてそれぞれ着目された調査でした。

そして調査結果では、ロンドン市民の約30%が貧困線以下の生活状態であること、さらにその30%のうちの3割(つまり全体の1割)は今すぐに援助が必要な困窮者であることを明らかにしました。

また「’’貧困の原因は飲酒や賭博のような怠惰等ではなく、不安定就労や低賃金などの社会経済的原因によるもの’’」ということも明らかになったのです。

このようにブースはもともと汽船会社で成功した資金を社会調査に投入して貧困の実態を明らかにしたということで、経済のみならず、社会的にも偉大な功績を残されたのです。

ラウントリーについて

ラウントリーとは

ラウントリー(本名シーボーム・ラウントリー)は、日本でもお馴染み「キットカット」のチョコレート会社で当時世界3位を誇る大事業を行っていた方です。

ラウントリーは父(ジョセフ)の影響を強く受けました。もともとココア・チョコレート事業はラウントリー家で引き継がれていた事業でした。ラウントリー家は代々クェーカー(キリスト教プロテスタントの一派)で父も社会問題について捉え、社会活動にも積極的に関わっていた人だったようです。

ラウントリーの父はヨーク市にあるクェーカー教祖の成人学校で教鞭をとっていました。そして1892年から父の後を継いで教鞭をとるようになりました。

その中で、低所得者労働者について関心を持つようになり、貧困街を視察するなど、自分のやるべきことは「貧困問題を実証的に調査すること」という想いを抱くようになります。そして後に有名になる「ラウントリーの貧困調査(ヨーク市)」を行うのです。

ラウントリーの貧困調査

ラウントリーはブースの貧困調査に影響を受けました。

そしてブースがロンドンで明らかにした貧困の実態を、’’地方都市であるヨーク市でも明らかにしたいという衝動’’に駆られたとのことです。

ヨーク市は当時人口が約4万5千人ほど世帯は1万を少し越える世帯数でした。’’田舎町ということで典型的な地方都市’’がラウントリーの故郷だったのです。

ラウントリーは3回に渡り調査を行いました。ブースと違ってラウントリーは調査員を見つけ出すことに苦労されたようです。それでも質問調査票を用いて、戸別訪問による調査を実施しました。

以下ラウントリーの調査(第1回)について着目していきます。

ラウントリーはマーケットバスケット方式と呼ばれる方式で、栄養基準に基づいて貧困家庭を分類しました。これが非常に画期的でありました。

さらにラウントリーは貧困家庭を2つに分類しました。

①第一次貧困:「総収入が肉体的能率を保持するにも満たない」(生命の危機)

②第二次貧困:「総収入のうち肉体能率は保持することができる ※総収入の一部を肉体能率の保持以外に使わない場合に限り」(生活を維持するギリギリのライン)

そしてそれぞれの割合について調査し分析をしたのです。

その結果、第一次貧困に陥る原因は、「雇用問題」であることを明らかにしました。また、第二次貧困に陥る原因としては「飲酒」が最も影響が大きいという結果になったようです。

また当時の調査でもヨーク市の平均世帯数は4.61人に比べ、貧困家庭は平均世帯数6人という調査結果もあったようで、ラウントリーはライフサイクルの概念についても明らかにしました。貧困家庭には子どもを育てている世帯が多かったようです。

’’労働者の生活がその労働能力と家族の状態の変化に伴って、第一次貧困線を境に生涯の内3回は、その線以下に生活水準が下がることがある’’

このようにラウントリーは、マーケットバスケット方式を用いて第一次貧困と第二次貧困に分類し貧困の実態を明らかにする他に、ライフサイクルと生活水準の間の周期変動についても後世に強く影響を残したのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。以上が有名なブースとラウントリーの貧困調査の概要になります。

押さえておきたいものとしては、ブースは汽船会社、ラウントリーはチョコレート会社として成功を収めました。そして、そこで得た資金と時間を社会のために自ら投資したのです。

これは日本でも大原孫三郎(倉敷紡績)の功績にも同じくみられます。石井十次(岡山孤児院)と出会い、社会事業の道へと進むことや、また渋沢栄一も資本主義の父として500もの会社をつくりながら、社会事業を展開していった姿からも同じような情熱を感じることができます。

このように経済的成功を収めた人 → 社会へ投資するという流れは非常に重要で、「福祉を福祉で完結しない」ということは、境界線の垣根を超えて巻き込むことが今後求められるでしょう。

福祉というものは職業ではなく、このようにもともと人々の内にある純粋な情熱から始まるのかもしれません。ただそのためには、そういう情熱のある人が自己犠牲を伴うことなく人々のために発揮することができるシステム(経済的・環境的)をつくることがキーワードになるのかもしれません。

ここまで読んでいただきありがとうございました。次回もまたよろしくお願いいたします。

〇参考文献

社会福祉のあゆみ~社会福祉思想の軌跡 金子光一著 有斐閣アルマ 第6章 貧困調査の意義 

〇リンク記事

こちらもイギリス関連で記事紹介させていただきます。

もしよろしければ是非ご覧ください。

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