提供者:GregMontani–1014946

1942年12月2日に「ベヴァリッジ報告」というものが出されました。

揺りかごから墓場まで」ということで時代は「福祉国家」へと進んでいきます。

このベヴァリッジ報告というものは、いったいどんな報告だったのでしょうか?

それでは一緒に確認していきましょう。

ベヴァリッジ報告について

ベヴァリッジってどんな人?

ベヴァリッジはインド出身の人でした。

1879年にインドのベンガル州ラングプールで生まれました。父、母と優秀な両親のもとに誕生したとのことです。

オックスフォード大学で数学や、人文学を学んでいましたが、貧困問題の実践活動を始めます。

そしてバーネット夫妻の紹介で「トインビーホールの副館長」に就任。

またこの時期にウェッブ夫妻と出会い、少数派報告の作成にも携わったとのことです。

少しウェッブ夫妻について紹介です。

ウェッブ夫妻は1897年に「産業民主制論」で「ナショナルミニマム」を初めて提言した人です。ナショナルミニマムは簡単に言うと、国が保障する生活の最低水準のことです。

その後、「救貧法及び貧困救済に関する王立委員会」で多数派報告(14名で署名)、少数派報告(4名で署名)という歴史的大きな委員会で少数派として報告書を出します。多数派は主にCOS側でした。

COSが平行棒理論(救済に値する貧民と、救済に値しない貧民とで分ける)という考え方をしていたのに対し、少数派は繰り出し梯子(ハシゴ)理論という考え方を主張しました。

繰り出し梯子理論とは「”最低限の生活を行政が保障し(ナショナルミニマム)、その上に梯子を繰り出すように、公的部門では果たせない独創的・柔軟な活動や宗教的・道徳的感化といった独自の活動を民間部門が担うべきである”」というものでした。

時代を先取りしたナショナルミニマムの考え方は後にベヴァリッジ報告でやっとのこと多大な輝きを得るのですが、当時はまだ大衆に理解されなかったとのことです。

多数派と少数派では多数派の意見が大衆に歓迎を受けたのですが、ウェッブ夫妻は全国規模の運動を起こし、少数派の意見が立法化されるよう行動したとのことです。

※ウェッブ夫妻の多数派、少数派の報告については今もなお多数派の方が推奨されるなど論文をみるといろいろな意見があるようです。かなり奥が深いものとなっております。なので記事にすることを避けました。

話はベヴァリッジに戻ります。

ベヴァリッジはこのウェッブ夫妻に近いところにいた人だったというわけです。

その後もウェッブ夫妻の勧めで、商務省の職業紹介局長に任命されることや、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの学長に就任、その後ロンドン大学の総長になるなど、ウェッブ夫妻からも多大なる信頼を受けていたという関係が見受けられます。

ベヴァリッジ委員会

時代は第二次世界大戦です。

1941年にベヴァリッジ委員会を設立正式名:社会保険および関連サービスに関する関係各省委員会)

戦後の社会を再建するために社会保障制度の検討が重要な課題となった”とのことです。

この委員会の目的は

「”労働者災害補償を含めての社会保険および関連サービスに関する国の現行諸制度を、とくにそれらの相互関係に注意をはらって調査し、勧告する”」というものだったようです。

そして1941年9月に調査を終え、ベヴァリッジが覚書を委員会に提出すると大きな反響を受けたそうです。最終的にベヴァリッジは唯一の責任者として、その後も議論を重ね1942年11月に「ベヴァリッジ報告」が完成され、国会へと提出されたのです。

ベヴァリッジ報告

次はベヴァリッジ報告についてみていきましょう。

勧告の3つの指導原則

第1の原則「”イギリスの既存の保険と扶助のシステムを根本的に改革しようとするもの”」

第2の原則”社会保険の組織が社会進歩のための包括的な政策の一部であり、それが窮乏に対する施策であること”

第3の原則”国民の自発的な行動を阻害しない範囲で、国家はナショナルミニマムを保障すべきである”

このような原則のもと勧告が出されました。

特に第2の原則では「5つの巨人」について述べました。

①窮乏(want)

→ 完全な社会保険は所得保障になり、それにより窮乏を攻撃。もっとも攻撃しやすいもの。しかしこれは5つのうち1つに過ぎない。

②疾病(disease)

→ 総合的な社会保障制度(保健・医療制度

③無知(ignorance)

→ 総合的な社会保障制度(教育・科学制度

④不潔(squalor)

→ 総合的な社会保障制度(住宅・環境制度

⑤怠惰(idleness)

→ 総合的な社会保障制度(労働・完全雇用制度

①から⑤を5つの巨人とし、それらが社会の繁栄を阻んでいるとし、そのための解決方法についてこのように述べたのです。

3つの政策

選別主義はスティグマ(烙印)を生みます。

ベヴァリッジはこのスティグマをいかにしてなくすためにはどうすればよいか考えていました。

スティグマを克服するために”社会保険システムをつくる必要”があり、そのためには3つの政策が必要であるとしました。

①児童手当(15歳以下に支給、全日制の教育を受けている児童は16歳以下

②包括的な保健およびリハビリテーション・サービス(病気の予防・治療、治療後のリハビリ)

③雇用の維持(失業者が発生しないよう対策)

これらは社会の発展には欠かすことのできないものであると考えられたそうです。

児童手当は”将来すべての児童が市民社会に構成する一員になることを期待した”ように児童のためでもあり社会のためでもありました。

また同じく、健康維持や完全雇用の促進も社会の繁栄に寄与するものとして考えられたようです。

3つの方法

ベヴァリッジは”社会保障を3つの異なった方法を組み合わせて計画的に行う”と宣言したようです。

①社会保険

被保険者から保険料を拠出することで、本人や家族が病気や高齢で必要となったとき給付を受けることができる

②国民扶助

資力調査を条件に、所得保障を行う。ベヴァリッジは社会保険制度が充実していけば国民扶助の受給者は減少すると考えていた。

③任意保険

ナショナルミニマム以上の生活水準を望むものに対してはこの任意保険で対応することとした。ここには国家は最低限度の生活保障の役割を担うが、自由主義経済の体制を守る意味で、介入は最小限であるとされたとのこと。

このように繰り出し梯子理論でもあったように、国家は国民の最低限度の生活を保障(ナショナルミニマム)し、社会保障制度により社会の繁栄を期待し、それぞれがその上にさらなる梯子をかけていくといった願いが込められているという感じを受けました。

ベヴァリッジ報告の影響

ベヴァリッジ報告が出版されると、またたくまに売れました。当時の国民は社会保障制度の実現を強く希望されたのです。

一方で、ベヴァリッジ報告は社会保障制度が国家財政を増やし、結果国民の負担を増やし、経済を停滞させてしまうといいった資本家階級から反対の態度を受けることや、兵士や国民の戦意高揚を促すための第二次世界大戦の道具となったという面もあったようです。

当時のチャーチル内閣は国家財政の懸念から社会保障制度実現には消極的でした。

このウィンストン・チャーチルはかつてウェッブ夫妻に「”ウェッブ夫人、国を改造する仕事は私たちに任せるべきです”」と発言されていたこともありました。しかしナショナルミニマムを否定することはせず、刺激を受けた部分もあった。

そして1945年にクレメント・アトリー労働党内閣が成立され、法整備が進められたとのことです。

①家族手当法(1945年)

②国民保険(労働災害)法と国民保険法(1946年)

③国民保健サービス法(1946年)

④国民扶助法(1948年)

⑤児童法(1948年)

そうしてウェッブ夫妻から多くの影響を受けたとされるベヴァリッジによる報告は戦後、社会保障制度という国民の期待を受け、ベヴァリッジ体制として進められたのです。

しかし、後に福祉国家体制では貧困は発生しないとされていましたが、「貧困の再発見」にてそれが覆され、大幅な修正を図ることとなったのです。

以上がベヴァリッジ報告の概要になります。

まとめ

いかがだったでしょうか。

救貧法制度の下では、歴史的にも貧富の格差が発生し、貧困の原因が個人的要因でないことが発見されても、その解決には進みませんでした。

その後「救貧法及び貧困救済に関する王立委員会」をはじめ、救貧法は解体され、社会立法へと時代は進んでいきます。

そしてウェッブ夫妻のナショナルミニマムを継承したベヴァリッジが新たな社会保障制度を唱えたベヴァリッジ報告を出し、戦後の福祉国家の時代を切り開いたのです。

「ベヴァリッジ報告」やその中の「5つの巨人」については知っている方も多いと思いますが、その時代背景や、ウェッブ夫妻の存在など知ってもらえる機会になれば幸いです。

我が国の1950年勧告もそうですが、社会保障制度というものは歴史的にみるととても大きなものだったことが少しでも伝わったのではないでしょうか。

私たちは当然その中で生活することが当たり前となっておりますが、これらは先人たちの歩みがあって今があるのです。

しかし、この社会保障制度というものは当然変化していかなければならないものです。変化するということは「有機的である」ということです。

本当にいい政策は「民から官である」という言葉のもと

国のみならず、我々も社会保障制度や政策について知る必要があるのではないでしょうか。

国が救済してくれるということは、時代を辿ると当たり前ではないのです。

そのあたりにも「地域共生社会」というもののヒントが隠れているのではないでしょうか。

ここまで読んでいただきありがとうございました。次回もまたよろしくお願いいたします。

参考文献

社会福祉のあゆみ 金子光一著 有斐閣アルマ

第7章 救貧法の廃止と擁護を巡る対立

第9章 ベヴァリッジ体制の確立

第10章 ベヴァリッジ体制の展開 

以下リンク記事(イギリス関連)

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