提供者:truthseeker08–2411480

今日は以前から温めていたコラム的な記事を書きたいと思います。

みなさんはアルフォンス・デーケンという方をご存知でしょうか。

日本にて「死生学」や「ユーモア」といったテーマで上智大学にて教鞭をとられていた方です。

よく生き、よく笑い、よき死と出会う

人生は旅、人間は旅人

人生100年時代を生きるヒントを我々に教えてくれると感じております。

それではご覧ください。

アルフォンス・デーケンから学んだこと

アルフォンス・デーケンとは

アルフォンス・デーケン(以下デーケン氏)は、ドイツ出身の方で上智大学にて教鞭をとられておりました。

テーマは「人間学」、「死生学」、「ユーモア」などです。

「”人間は人生の旅で体験した出会いと、選択した転機によって大きく形作られていく”」

日本を愛したデーケン氏の人生観というものは読んでいて心に響くものがありました。

私たちは誰しもが共通する「死」というテーマを「哲学」として考えることの大切さを教えてくれたのです。

人生100年時代

2025年問題を皮切りに、未知なる問題が我々を待っております。

しかし人間は誰しも年齢を重ねるものです。それは悪いことではないはずです。

それだけ多くの人たちが社会を担って、これまで歴史というバトンを繋いできたということです。

それを忘れたくはないものです。

アルフォンス・デーケンの生い立ち

デーケン氏の人生はまさに「死」と隣り合わせだったとのことです。

デーケン氏の父は「反ナチ運動」に関わっていた人でした。

しかし家庭は活動とは裏腹でとても暖かい家庭だったとのことです。

人間は笑うことができる唯一の生物である」といってネコを並べて実験してみせたこと。

次の世代のために何かを残さなければならない」とポプラなどの苗木を植えたこと。

子どもたちと一緒によく散歩に出かけられたこと

戦争中であるにも関わらず、裏では反ナチ運動ととても忙しかったのにも関わらず、子どもたちの話によく耳を傾け、温かい家庭づくりを大切にされたようです。

さらにドイツ敗戦後、近隣諸国から引き揚げてきた難民たちを「同じ人間同士、困っている時には温かい手を差し伸べよう」といった姿勢で受け入れました。

無条件の愛」ということで、デーケン氏の父が一生貫かれたものでした。

しかし一方で「生死をかけてもやらなければならないこと

安楽死法の施行を止めるために、この法律はキリスト教の精神に反すると大衆に述べ、命をかけた極秘の活動を行ったのです。

デーケン氏の父は「同じ人間同士が人種差別をすることは愚かなことだ」と口癖にしていたとのことです。

いわゆる「ソーシャルアクション」と呼ばれるものだと思います。

最終的には政府は安楽死のプロジェクトを一時的に取りやめたという結果に終わったようでした。

確かに危ないことだけれど、これは人間の命、神の教えに関わることだ。国家が自ら、弱い人、無力な人を選んで殺していくなどということは、絶対に認めてはいけない。だから私たちは生死をかけてでも、反対していかなければならない

このような父のもとで幼少期を共に過ごしたのがデーケン氏でした。

ソーシャルアクションというものは公民権運動でも象徴されるように「人権」というものが大きなテーマの一つであるように思われます。

またキリスト教といった宗教的な教えというものは、実はとても大切なものであったと感じます。

二葉幼稚園をつくった野口幽香さんも「貧しい子たちにもフレーベル教育を」ということでキリスト教の精神を大切にされました。

これらは義務教育では習わないことでありますが、キリスト教の精神は、こういう人の痛みに敏感な人たちを動かした原動力でもあったのかもしれません。

ちなみにデーケン氏の父は日本にいたデーケン氏に最後分厚い封書を送りました。

そこには「父の全生涯が記されており、掲げた理想、成功と失敗について詳細などが綴らされていた」というエピソードもあります。

デーケン氏はこの手紙を通していつでも父と母に会うことができるとのことです。とても素敵なエピソードだと感じます。

マックス・シェーラーの価値倫理学

マックス・シェーラーはデーケン氏の母国ドイツで著名な倫理学者です。多くの影響を受けたとのことです。

「何が善であり、何が悪であるか」という価値そのものは真に客観的なものである

市民が100人集まって戦争を始めるか始めないか議論をしていたとします。1人が反対して、99人が賛成をしても真に正しいのは反対している1人なのです。

価値の高低の順列

人間の生き方として長く続く価値を求める方が、はるかに深い満足感をもたらす」とのことです。

これも主観的な事象ではなく、客観的に評価できる価値なのだそうです。

我々は真に価値の高いものは何か?絶えず問いかけながら生きる姿勢が大切とのことです。

ソーシャルワークでもフリードランダーの定義というものがあります。

Social Welfare (社会福祉原論=価値の部分)というバスの車体を

Social Security(社会保障)と Social Work(相談援助技術、社会事業)の2つの車輪で動かすイメージと教えてもらいました。

「価値を最初に置く」

これが大切であるとのことです。

このように実は「福祉」と「倫理」というものは密接に関連しているものであると個人的に感じております。

振り返れば私も高校では「倫理」を専攻しておりました。倫理の世界に触れたことは今になって身を結んでいるのかもしれません。

フランシスコ・ザビエル

ザビエルと言えば写真を思い浮かべることでしょう。

教科書的には1549年に鹿児島に上陸しキリスト教を最初に伝えた人物です。

デーケン氏に書物を通じて影響を与えた人物とのことです。

以下少し長いですが抜粋させていただきます。

フランシスコ・ザビエルより

私は、今日まで自ら見聞し得たことと、他の者の仲介によって織ることのできた日本のことを、貴兄等に報告したい。

まず第一に、私たちが今までの接触によって織ることのできた限りにおいては、この国民は、私が遭遇した国民の中では一番傑出している。私には、クリスチャンでないどの国民も日本人より優れている者はないと考える。

日本人は相対的に良い素質を有し、悪意がなく、交わってとても感じが良い。彼らの名誉心は特別に強烈で、彼らにとっては、名誉がすべてである。

日本人は大抵貧乏である。しかし武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。

彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる人の性質がある。それは武士がいかに貧困であろうとも、平民がいかに富裕であろうとも、その貧乏な武士が、富裕な平民から富豪と同じように尊敬されていることである。

また貧困な武士はいかなることがあろうとも、またいかなる財宝が眼前に積まれようとも、平民の者と結婚などは決してしない。それによって自分の名誉が消えてしまうと思っているからである。それで金銭よりも、名誉を大切にしている。

日本人同士の交際を見ていると、とても多くの儀式をする。武器を尊重し、武術に信頼している。武士も平民も、みな、小刀と大刀とを帯びている。年齢が十四歳に達すると、大刀と小刀を帯びることとなっている。

彼らは恥辱や嘲笑を黙って忍んでいることをしない。平民が武士に対して最高の敬意を捧げるのと同様に、武士はまた領主に奉仕することを非常に自慢し、領主に平身低頭している。これは主君に逆らうことが自分の名誉の否定だと考えているからであるらしい。

日本人の生活には節度がある。ただ飲むことにおいて、いくらか過ぐる国民である。

彼らは米から作った酒を飲む。葡萄はここには無いからである。

賭博は大いなる不名誉と考えているから一切しない。なぜかと言えば、賭博は自分のものでないものを望み、次には盗人になる危険があるからである。

彼らは宣誓によって、自己の言葉の裏付けをすることなどは稀である。宣誓する時には、太陽に由っている。住民の大部分は読むことも書くこともできる。これは、祈りや神のことを短時間で学ぶためのたいへん有利な点である。

日本人は妻を一人しか持っていない。窃盗は極めて稀である。死刑をもって処罰されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。大変心の善い国民で、交わり且つ学ぶことを好む。

神のことを聞く時、とくにそれが解るたびに大いに喜ぶ。私は今日まで旅した国においてそれがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず、盗みに就いて、こんなに信用すべき国民を見たことがない。

獣類の形をした偶像などは祭られていない。大部分の日本人は、昔の人を尊敬している。私の織り得た所に依れば、それは哲学者のような人であったらしい。国民の中には、太陽を拝む者が甚だ多い。月を拝む者もいる。しかし、彼らは、みな、理性的な話を喜んで聞く。また彼らの間に行われている邪悪は、自然の理性に反するが故に、罪だと断ずれば、彼らはこの判断に諸手を挙げて賛成する。

(ペドロ・アルーペ神父、井上侑二共訳「聖フランシスコ・ザビエル書翰抄より」

ザビエルの素晴らしい洞察力、そして日本という素晴らしい国に魅力を感じ日本に行きたいという衝動に駆られたようです。

このように日本は歴史的にも世界から評価される大和の国ということです。

最近そういう人たちをネットワーク上で見かけるようになりました。

義務教育で教わらないこと、それは「日本人であることは素晴らしい」ということです。

しかし○○によって情報操作がされたことで日本古来の大切さは引き継がれられなくなり、次第に○○の影響を受けるようになります。

これ以上は書きませんが、私たちはもっと日本人であることを誇りにもっていいということです。

私たちは豊かな四季を感じ、自然を大切にし、歌を唄い、家族や地域を大切にしながら生きてきたということです。

時代の変化に伴って変化するものは変化させていき、大切なものは大切なものとして残すことも必要ですよね。

ガブリエル・マルセル

ガブリエル・マルセルは「二十世紀のソクラテス」と言われた偉大なフランスの哲学者です。

デーケン氏は彼の講義を聴く機会があったようです。

問題と神秘

「問題」というものは知識や技術によって解決することはできますが

「神秘」というものはそうでありません。

例えば「ある日突然大切な人が亡くなった」

これは問題ではなく、神秘の領域です。なので違ったアプローチが必要なのです。

この神秘に対しては、「支配ではなく、謙虚に開かれた心で接することが大切である」とのことです。

これは福祉に携わっている人ならば伝わると思います。

神秘の領域では開かれた心で接して、その人に寄り添い共感し、

問題の領域では共に解決に向かって働きかけるということが大切だと感じます。

もしかしたら、一般的に問題と扱われるようなこともその人にとっては神秘なのかもしれないといったこともあるかもしれません。

存在と所有

若いころはマイカーやマイホームと所有を重視します。

しかし人生の中年期を過ぎたら所有よりも存在であるとのことです。

自分は誰であるか

幸福を与えてくれるといっていた外面的な価値は、相対的なものに過ぎなくなり、努力の重点は内面的な価値に移行する必要があるとのことです。

年を重ねるに従い、自分の内面に目を向けることが大切になり、若い日を再現しようとしても今は虚ろな抜け殻をさらすばかりだと気づくようです。

そのため人間として成熟するにつれて「価値観の見直しと再評価」が必要になってくるということです。

「”老年期においては、平常心、忍耐、聞き上手、寛大さ、希望、思いやり、そういった内面的な価値を発見していかなければならないのです”」とのことです。

このように、私たちはいつか「自分の人生を振り返る時」がやってきます。

あるいは「他者の人生を振り返る時に傍にいる」かもしれません。

そして人は「心の拠り所となるもの」を人生という旅の中で探しているのかもしれません。

そういった中で「生きがい」というものはいったい何なのでしょうか?

キューブラー・ロス

キューブラー・ロスはスイス出身の精神科医です。ホスピス・ケアのパイオニアとして有名です。

ホスピスで大切なことは、一に聴くこと、二に聴くこと、三に聴くことです。

また死には5段階(否認、怒り、取引、抑うつ、受容)それに加えて6つ目(期待と希望)があるとのことです。死後の生命を信じる患者の場合は、さらに進んで「天国で大切な人と再会できる」といった希望を抱くようです。

キューブラー・ロスは死生学のパイオニアでもあるとのことです。

死生学とは「死」について学んでいれば、同時に生きることの尊さも発見できるというものです。

ドイツの哲学者ハイデガーは

「人間は皆、死への存在であり、この世に生を享けた瞬間から、死に向かって歩き続ける旅人である」と言いました。

私たちは100%死を迎えます。

「命というものは限りがあるから素晴らしい」とドラえ○○の映画で言っていました。

「今日が人生最後の日であるという気持ちで今日1日を過ごす」とよく自己啓発書の教えでもよく出てきます。

「もし今日が人生最後の1日だとしたら?」

人生最後の日に盗みを働こうとする人や、怒るような人はおそらくよほどの何かがない限り選択はしないと思います。大切な人に会いに行き、ふるさとを訪れ、感謝をするでしょう。

人生は旅である

人生は旅である。

電車で旅に出ようとする人がいたとします。

最寄り駅でグリーン車をお願いしますといっても、行き先はわからないが、とりあえずグリーン車に乗りたいという方は少なくなく、

人間はそもそも楽なグリーン車で旅をしたがる存在”とのことです。

しかし、「”グリーン車に乗って、いったいどこに行きたいかの方が大切で、自分はこれからどこに向かっていくのかといった生きがいや人生の意義が大切なのです。”」

さらにこう書かれております。

特に高齢者についてはなおさらです。自分が老いてしまい、約に立たないものだ、迷惑をかけるばかりの存在なのだという、否定的なセルフイメージを持っている人は、生きがいある余生を過ごすことは難しいでしょう。

これは社会の在り方にも重要で、高齢者をただ介護する対象として考えるならどうなりますか?

生きがいや人生の意義を失います。

年齢に関わりなく、自らの人生の旅を歩き続けることが大切なのです。

ただ、そのためには明確なゴールが必要です。

人間というものは「人生という旅を生きる旅人」なのです。

それは年齢が何歳であろうと一生を終えるまで旅人なのです。

ユーモアについて

デーケン氏が最後に行き着いたのはこの「ユーモア」でした。

笑うことによって人はストレスを緩和することができます。

それこそ、ノイズの多い不愉快な環境で飼ったネズミは90%がガンにかかったそうですが、モーツァルトの音楽が流れるような穏やかな雰囲気で飼ったネズミは7%だったそうです。

ただ勘違いしてはいけないのは

”きついジョークでからかった場合、まわりの人は笑うかもしれませんが、当人は傷つく”ということです。これはユーモアではありません。

相手に対する思いやりがユーモアの原点”とのことです。

デーケン氏は「学校でのいじめや家庭内暴力、引きこもりなどの原因の一つも社会全体の真面目過ぎる緊張した雰囲気にあるのでは」と言っております。

ユーモアというものは「にも関わらず笑うこと」で、

「”自分は今苦しんでいます。しかし、それにも関わらず相手に対する思いやりとして、笑顔を示しますという意味”」これがユーモアの真の意味だそうです。

私はこれを大切にしております。

私は日々人と接する時に、ユーモアを使ったコミュニケーションを心がけるようにしています。相手もそれを受けて笑ってくれたり、同じように返してくれたりするのです。

ただ絶対に否定的な言葉を使いません。それだとジョークになってしまう恐れがあるからです。

またこのユーモアは人間関係を円滑にしてくれる要素もあるとのことです。

そしてその人にいっそうの人格成長をもたらしてくれるものでもあるようです。

真のユーモアには程遠いかもしれませんが、できることなら笑っていたいものです。

そしてそこから生まれる空気から何か温かい風が吹くかもしれないと思っております。

まとめ

いかがだったでしょうか。

少し長い文章になってしまいました。

タイトルには「高齢者と生きがい」ということでしたが、

直接的な話題ではなく、ぼんやりとした内容だったかもしれません。

そういうものだと感じます。究極にこれだというものはないのです。

私はこのデーケン氏からとても「福祉的な風」を感じます。

家庭であったり、人権であったり、無償の愛であったり、ホスピスであったり、人生であったり、死であったり・・と。

これから先、高齢者が増えます。そして社会がそれをやっかいものとして扱わないようにすることが大切です。

みんな一生懸命生きてきたから老いるのです。それは素晴らしいことなのです。私たちもいつかは老います。

私はコアな部分をデーケン氏から学びました。大切にしていきたいです。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

少しでも何か感じるものがあったならば幸いです。

参考文献

よく生き、よく笑い、よき死と出会う アルフォンス・デーケン 新潮社

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