提供者:Miki Czetti

今回はパーソナル・ソーシャル・サービスについてです。

パーソナル・ソーシャル・サービスとは

”社会福祉の政策・制度を通じて提供される社会福祉サービスの中で、対局的な関わりを通じて個人、家族および集団に提供されるサービスをいう。”

児童福祉や障害者福祉、高齢者福祉、保健医療サービスなど、これらのサービスの総称とのことです。

このパーソナル・ソーシャル・サービスという用語は「シーボーム報告(1968年)」と呼ばれる報告で公にされました。

イギリスは戦後このパーソナル・ソーシャル・サービスが発展していきます。

それでは一緒に確認していきましょう。

パーソナル・ソーシャル・サービスについて

ヤングハズバンド報告

ヤングハズバンド報告は「地方自治体保健・福祉サービスにおけるソーシャルワーカーに関する調査委員会(1955年)」が正式名となります。

イギリスは戦後ベヴァリッジ体制のもと福祉国家の道へと進みます。

そして1948年には地方自治体にてパーソナル・ソーシャル・サービスが確立されていきます。

①児童部(児童法1948年)

②福祉部(国民扶助法1948年)

③保健部(国営保険医療サービス法1946年)

しかしこのうち特に福祉部に関しては「非専門化」が課題でした。

「”福祉部は無資格の職員によって構成された唯一の地方自治体部局になるだろう”」とのことでした。

福祉部の主なサービスとしては

・居住施設(対象:老人、病弱者など)

・臨時宿泊所(対象:家のない家族など)

・民間福祉団体への援助

・資産の管理

・埋葬

・視聴覚障害者の福祉の増進

・各種クラブ

・情報提供

などといったサービスが展開されておりました。

これらのサービスは現代においてはソーシャルワーカーが配置される領域としてありますが、当時はまだその認識が薄かったようです。

そしてヤングハズバンド委員会にて「”ソーシャルワーカーの雇用増加の必要性”」について調査報告を行われたのです。

ちなみにソーシャルワークの発展過程を辿ると、この時点ではまだケースワーク、グループワーク、コミュニティワークはそれぞれの分野で発展されておりました。

そういう視点でみると児童部(正常な家庭生活を剥奪された児童等を対象)においてはケースワークが重要な機能として備わっているので、ソーシャルワーカーは主に児童部に配置されていたのかもしれません。(※個人的見解)

また「ソーシャルワーカーの雇用増加の必要性」に加えて、「”ソーシャルワーカーの新たな養成、研修コースの開設”」も求めました。

これは「2年生フルタイム過程」ということだったので、大学でソーシャルワーカーの養成を終え、その後さらに学びをする場として1971年までに2495名が資格が付与されたそうです。しかしシーボーム報告によれば有資格者はまだまだ不足していたとのこと。

このように戦後まもなくパーソナル・ソーシャル・サービスというものの土台は確立されておりました。

ただそこには「非専門化」ということでの課題があり、ヤングハズバンド報告という調査が行われ、その中でソーシャルワーカーの配置の拡大や専門職としての学びについて議論がされていたのです。

シーボーム報告

1965年にシーボーム委員会(正式名:地方自治体と関連するパーソナル・ソーシャル・サービスに関する委員会)が設置され、1968年に「シーボーム報告」として公表されました。

シーボーム報告では「地方自治体社会サービス部」というものが新たに設置されました。

当時各種サービスはそれぞれの部局に分散されておりました。それゆえ非効率だったとのことです。

そこで①児童部、②福祉部、そして③保健部局、教育部局、住宅部局のうち社会福祉サービスの要素を含むものの中で、「”家族に焦点を当てたサービスの活動を効果的に実施するための保障”」について改革案を望んだところ、結論として部局を新たに地方自治体に設けるということになりました。

そうして地方自治体社会サービス部というものが設立されたのです。

地方自治体社会サービス部の役割は「”広範な福祉サービスをパーソナル・ソーシャル・サービスとして統合し、総合的なサービスの展開を図ること”」でした。

具体的なサービスとして

①児童部局が実施しているサービス

②1948年国民扶助法に基づいて実施されているサービス

③教育福祉事業と児童相談事業

④地方自治体保健部局によるホームヘルプサービス、精神保健ソーシャルワークサービス、成人訓練センター、その他のソーシャルワークサービスおよび保育園

といった内容でした。

このように児童部、福祉部、保健部その他で行われたサービスを「地方自治体社会サービス部」として一元化したのが「シーボーム報告」になります。

シーボーム報告の内容はその後1970年に「地方自治体社会サービス法」として法制化されました。保健・医療の専門職業者からはソーシャルワーカーに役割や責任を与えられることに対して反対を受けていたとのこと。

しかし、この社会サービス部はまもなく業務拡大(障害者、老人福祉サービス、司法福祉関連等)され、機能不全や疲弊を招く結果となったようです。

バークレイ報告

社会福祉サービス部はその後も発展していきました。「総合的な福祉サービス」ということで金銭給付では解決しない課題に対して、ソーシャルワークの有効性を示したとのことです。

しかし地方自治体社会サービス部は疲弊していきました。

①地方自治法(1972年)と国民保健サービス法(1973年)

・地方自治体法では、地方自治体の再編成することが決定され、地方自治体の数の減少並びに権限の弱体化も進んだ。

・国民保健サービス法では国民保健サービス部に所属する医療ソーシャルワーカーが、大量に地方自治体社会サービス部へ異動させる措置がとられた。

②運営における構造的な矛盾

・ソーシャルワーカーは自由裁量権が認められていることが重要であるが、運営管理の官僚制との間でワーカーの実践活動を統制してしまうこと発生されていた。

③経済的不況

・石油ショック(1973年)、ポンド危機(1976年)

このように地方自治体社会サービスは次第に疲弊していったのです。

そしてこのパーソナル・ソーシャル・サービスの見直しが図れる形で時代は進みます。

その後1980年に「”地方自治体社会サービス部、および関連民間機関においてのソーシャルワーカーの役割と任務を再検討し政府へ勧告すること”」を目的に、バークレイ委員会が発足されました。

そして1982年に「バークレイ報告」という形で調査結果を公表したのです。

この報告では最終的に意見の合意を得ることはできず、多数派報告とハドレイ少数派報告、ピンカー少数派報告の3つの異なる報告を提出したとのことです。

①多数派

・コミュニティソーシャルワークを提案。

②ハドレイ少数派

・近隣基盤ソーシャルワーク(コミュニティより近隣レベルのソーシャルワークを重視)

③ピンカー少数派報告

・現在のクライエント中心モデルという在り方(ソーシャルワークは普遍主義的であるよりも選別主義的なもの)

このようにバークレイ報告ではこれからのソーシャルワークの在り方についての方向性について、それぞれ異なる意見を提示されました。

特にその中でも「コミュニティソーシャルワーク」が多数派報告で提唱されたように、ソーシャルワーカーの役割が時代が進むにつれて拡張されていったのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。

以上がイギリスのパーソナル・ソーシャル・サービスについてと、シーボーム報告、バークレイ報告についての簡単な流れになります。

簡単にまとめますと

戦後まもなくパーソナル・ソーシャル・サービスの原型ができる。

シーボーム報告にて新たに「地方自治体社会サービス部」が設立され、総合的な福祉サービスとして統合。

その後「地方自治体社会サービス部」は業務拡大と発展をとげるが、次第に疲弊していく。

これからのソーシャルワーカーの役割について再検討、「バークレイ報告」が公表される。そこではコミュニティソーシャルワークについて多数派報告が出された。

といった流れになります。

またそれらと並んで、専門職化についても度々議論が重ねられました。

ソーシャルワーカーのプロフェッショナルは医者のプロフェッショナルとは異なる

それゆえソーシャルワーカーの役割と専門職化についての議論は国によって、時代によって積み重ねられてきたのです。

以上「シーボーム報告とバークレイ報告からみるパーソナル・ソーシャル・サービスの発展について」でした。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

だいぶ近代に近づいてきましたね。

引き続き次回もまたよろしくお願いいたします。

参考文献

社会福祉のあゆみ 金子光一著 有斐閣アルマ

第11章 パーソナル・・ソーシャル・サービスの形成と展開

リンク記事(イギリス関連)

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