提供者:Naveen Annam

少し更新が空いてしまいました。

今回はサッチャーの時代について簡単にみていきたいと思います。

それでは確認していきましょう。

マーガレット・サッチャーの歩み

これまでのイギリスの歩みとして

少し振り返ってみますと、

かつて世界の工場と呼ばれたイギリス経済は「貧困の格差」という社会問題のもと成り立っていました。

その後第二次世界大戦時期に「ベヴァリッジ報告」による社会保障制度の皮切りを経て、「ゆりかごから墓場まで」という手厚い福祉国家体制の道を進みました。

しかし後にピーター・タウンゼントとブライアン・エイベル=スミスの「貧困者層と極貧者層」において、1960年時点で6分の1が貧困状態にあることが示されました。これらは「貧困の再発見」と言われております。

貧困の再発見は、同時期にアメリカでもハリントン(もう1つのアメリカ:1963年)やガルブレイス(ゆたかな社会:1958年)により示されました。

その後イギリスでは「選別主義・普遍主義論争」が議論され、社会保障の給付が普遍主義から選別主義よりへと移り変わっていったようです。

リチャード・ティトマスが普遍主義の立場で、「’’もし選別主義を行うのであれば、強いニーズをもつ集団や地域を積極的に区別して、権利としてサービスを展開することが必要である’’」と述べることや、※ティトマスについて知りたい方へ:リチャード・M・ティトマス その人と業績 -三浦文夫

ブラッドショーが「ソーシャルニードの分類」の中で、ニーズを4つに類型し、ある課題が1つのニーズのみに該当するのではなく、複数に該当するという視点から12通りの組み合わせを示し、政策決定について意見を述べました。※ニーズの分類について知りたい方へ:福祉ニーズの把握に関連する概念 - 立教大学大学院コミュニティ福祉学研究科社会福祉学特殊研究2

そうして次第に福祉国家体制はゆらぎ、さらに石油ショックを経て、イギリス経済も衰退して経済危機を迎えることもあり、新たな施策が必要とされました。

ここで登場するのが鉄の女で有名な「マーガレット・サッチャー」なのです。

サッチャリズムの登場

経済危機を迎えたイギリスは1978年から1979年にかけて「不満の冬」と呼ばれました。

そこでは労働党政府の経済危機対策に反発して、労働組合によるストライキが頻発しました。

そして1979年5月の選挙では保守党が圧倒的に勝利し、サッチャー政権がスタートしたのです。

サッチャー政権は福祉国家を否定する形で政策を展開していきました。

イギリス経済が危機に至った原因として、福祉国家体制による国の過重負担と福祉への依存、その他イギリスの国際競争力を低下させたことを考えていました。

ヴィクトリア朝に帰れ」がスローガンの一つとして掲げられていたのです。

サッチャー政権は「小さな政府」という考え方を示し、これまでの手厚い福祉国家体制から脱し、公的部門によって提供される社会サービスの縮小を図りました。

「”社会福祉の中心的担い手は家族、協会、慈善組織などの市民社会制度とすべきである”」といった新保守主義の考え方や

「”福祉国家の公共独占が個人の自由を侵害してきた”」という新自由主義からの影響を受けていたようです。

以下余談

サッチャーは「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」という映画にもなりました。

「There’s no such thing as society」

「社会なんて存在しない」という有名な表現があります。

サッチャーは庶民派でした。それゆえ、助け合いはもちろん必要ではありますが、自分の足で立つことを忘れてはいけないと強い意思を示したのです。

「家計が苦しくなれば、家計を切り詰めてやりくりするのです」と庶民派ゆえの視点をもって、何でも政府に頼るのではなく自分の努力の大切さを信念に置いていました。

サッチャーは戦い続けました。それこそ当時議員は全て男性でした。一人甲高い声で発言をする中でどのように発声すれば伝わるか練習をしたエピソードもあるそうです。

「夫に寄り添うような妻にはなれない」

「お茶碗を洗うような生き方はできない」

と家族よりも国や政治を第一にしました。これが最初の女性議員の到来なのです。

保守党を新保守党として立て直し、国有化から民営化への動きを進め、中小企業を大企業にして雇用を生み出すという姿勢を貫き、多くの人から批判され続けても戦い続けました。当然国のリーダーとして、政策のみならず、テロリストとの闘いもしなければなりませんでした。

当然政策等を見返すと色々な意見や評価も出ます。しかしそれは後出しじゃんけんのようなもので、世界NO1だった歴史ある国を女性が改革したという強い意思から学ぶことは多いと感じます。

グリフィス報告

1986年に「コミュニティ・ケアの現実化」という監査報告を出しました。

サッチャー政権下において、コミュニティ・ケアに関する課題が浮上して、政府の監査機関が課題を明らかにしたのです。

そこで出てくるのが大手スーパーマーケットの経営者であるグリフィス卿です。

グリフィス卿は1983年の国民保健サービス(NHS)の機構改革時にも、斬新な改革を提言して注目を浴びていたとのことです。

今回も監査報告を受ける形で、1988年に「コミュニティ・ケアー行動のための指針」という勧告を出しました。これが通称「グリフィス報告」と呼ばれるものです。

グリフィス報告では~

①コミュニティ・ケアの目標と優先性、財政的な責任 → 中央政府が担う

②コミュニティ・ケアの役割の担い手 → 地方自治会社会サービス部が担う

※他部局と連携、個人ニードに基づいてケア・パッケージの実現、在宅・施設サービスの提供

③ケアの担い手 → 公的部門、民間部門(営利・非営利)、インフォーマル部門などにより提供

※利用者の選択を重視した

グリフィス報告はこれらの点を重視した報告とのことです。

こうしてコミュニティ・ケアが重視される政策が展開されました。

その後もグリフィス報告を受けて「コミュニティ・ケア白書」が発表されました。

「”高齢、精神障害、精神発達遅滞、あるいは身体障害や感覚障害といった問題を抱えている人が、自宅、もしくは地域の中の家庭的な環境のもとで、できる限り自立した生活ができるよう、必要なサービスや援助をすること”」という定義のもと改革が進められたのです。

※ちなみに1978年に「ウルフェンデン報告」より福祉多元主義という考え方が一般的に使われるようになりました。「インフォーマル部門」「ボランタリー部門」「公的部門」「営利部門」という供給主体が多元化されていくことも③につながっております。

これは後にドイツのエヴァースが第3セクターに関する議論を進め「福祉三角形」と呼ぶ社会経済システムを構想し、スウェーデンのペストフが「国家」「市場」「コミュニティ」を公式(非公式)、営利(非営利)、公共(民間)で表した「ペストフの三角形」で第3セクターを位置付けた流れがあります。

ワグナー報告

1985年には「入所施設ケアに関する独立検討委員会(ワグナー委員会)」が設立され、入所施設の再検討が行われました。

そして1988年に「施設ケアー積極的選択(通称ワグナー報告)」が出されました。

調査の過程で入所施設において、”放任や虐待、消極な選択としての結果としての入所、職員のモラルの低さ、職員の研修機会の不足”などが明らかにされたとのことです。

しかし重要なのはそれにも関わらず、入所施設サービスを積極的な選択として位置付けようとした点がポイントです。

「在宅か、施設か」ではなく、その選択はケアを受ける人が自ら選ぶという視点のもと、施設も選択肢の一つとしたこと、それと合わせて施設で働く職員の待遇にも目を向けたのが、このワグナー報告となります。

サッチャー政権のその後

サッチャー政権は1990年に幕を閉じました。

その後は1997年に保守党から労働党へ政権が移り変わります。

そこで出てくるのが有名なブレア首相です。そして時代は「福祉から就労へ」と進んでいくのです。

ブレア首相の主な改革として

①年金改革

・「国家二次年金(SSP)」~年収9000ポンド以下の低所得者向けの公的年金

・「ステークホルダー年金」~年収9000ポンド~20000ポンド程度の中間所得者層向けの民間年金

こうして基礎年金や職域年金と個人年金をこれらと組み合わせることで全ての高齢者に一定所得を確保するための施策を提示(1998年緑書)

・「わかりやすく安心して選べる年金(2002年緑書)」

自分の生活設計にあわせて適切な備えを選択できるよう改革を提案

②福祉改革

「働くための就労プログラム」

代表例:ニューディールプログラム 

~ 働くことが可能な者には極力就労を促す施策を積極的に展開

③NHS改革

・医療分野の「第3の道」案

~ 利用者の選択機会の拡大、官民パートナーシップによる民間部門の活用、NHS組織を分権化しコミュニティの充実を図ること

ブレア首相のもとでは主な改革としてこれらの改革が行われたとのことです。

ただ一方でこれらの成果溢れる大幅な改革も、サッチャーによる保守党の政権交代がなされ、これまでの在り方を根本的に変えようとする動きがあったからこそ、生まれたのかもしれません。

その意味ではサッチャーはやはり国を動かしたと言えるのではというのが個人的な見解です。

まとめ

いかがだったでしょうか。以上サッチャー政権時代の簡単なまとめとなります。

この記事を書くにあたって映画をみてから書こうと思っていたので、更新がやや遅れてしまいました。

イギリスの歴史の基本事項についてはだいぶ振り返りができたと思います。

日本の社会保障制度審議会勧告(1950年)の中でも、「自助努力」への想いや、「失業対策は雇用対策の推進以外に真に有効な方法はあり得ない」と述べたことは、後のイギリスをみて証明されたかのように感じました。

今日本では「自助」や「互助」という在り方が重要視されております。

私も社会福祉士の勉強をしなければ全く知らなかったということや、福祉とは別のある研修では「公助」「共助」「互助」の3つで扱われていたことなど、認識を高めていくことは責務でもあるように感じます。

自分たちの地域は自分たちで創る」という精神を忘れてはいけないのです。

それはサッチャーの姿勢から学ぶことができるかのように個人的に感じました。

以上複数回に渡ったイギリス関連の記事も一旦ここで区切りたいと思います。

イギリスの歴史からはたくさんのことを学ばさせていただきました。

よろしければ興味のある方は他の記事も是非ご覧になってみてください。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

参考文献:社会福祉のあゆみ 金子光一著 有斐閣アルマ 第12章近年のイギリスにおける福祉改革

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