提供者:Engin Akyurt

本日は社会保障の歴史について辿っていきます。

今よりもっと昔の人々は、生活上の困難を家族や親族、地域社会での助け合いのもと乗り越えてきました。

しかし相互扶助的な仕組みでは対応できない問題も現れてきました。相互扶助は今でこそ重要視されていますが、昔は”範囲が限定的”であったこと、”内容も恩恵的で貧弱”なものだったという点など、よい面ばかりでは当然なかったようです。

そして時代が進むにつれて、困窮者の救済が法令による全国的な制度として発展していきました。

社会保障の歩みを知るということは、福祉制度の根幹を辿るということにもつながります。

それでは一緒に確認していきましょう。

※注意:ラインは後日引き、見やすく修正します。

社会保障の歴史

エリザベス救貧法から始まるイギリスの流れ

社会保障の歴史ではエリザベス救貧法から始まります。

エリザベス救貧法の制定の背景には「エンクロージャー(囲い込み運動)」がありました。

当時は羊毛の需要が高く、生産者である農民は土地を奪われ、大量の浮浪貧民が生み出されました。

そして社会的な対策が必要とのことで、最初は教区ごとを単位として救済政策であるエリザベス救貧法が制定されました。

エリザベス救貧法は働くことで浮浪を食い止めるという性格が強く、貧民を3つに区分しそれぞれ労働や施設、徒弟奉公を強制といった対応を図りました。

その後救貧法は改訂されていきます。

1622年に定住法(豊かな区域に人が集中しないため)

1722年にワークハウステスト法(労働能力があるにも関わらず働く意思のない者を排除する政策)

1782年にギルバート法(ワークハウスの失敗を踏まえた人道的な政策、居宅保護が中心)

1795年にスピーナムランド法(低賃金労働者に対してパンを購入できる程度の賃金補助)

これらの流れを経て、救貧制度は労働意欲が衰退するという悪循環があり産業資本家層の不満を募らせました。そして、産業資本家側の制度として、救貧法が改訂されました。

1834年に新救貧法

これらの流れについては以下の記事をご覧になってください。

ブース・ラウントリーの貧困調査

イギリスは「世界の工場」となりました。

しかし、その背景には低賃金で働く者が多く、貧困者がありふれていたとのことです。

それらの実態を明らかにするために、汽船会社の実業家であったブースは私財を投入してロンドンにて貧困調査を行いました。ロンドン市民の貧困の実態と、原因は不安定な就労や低賃金など社会経済的原因であることを明らかにしました。

その後ブースの影響を受けたラウントリーが、ヨーク市でも貧困調査を行いました。ラウントリーはマーケットバスケット方式という画期的な方法で貧困者を分類しました。

ラウントリーも困窮の原因は雇用問題であることを明らかにしました。その他、困窮家庭には子どもを育てている家庭が多いという実態からライフサイクルの概念についても明らかにしました。

これらの貧困調査については以下の記事をご覧ください。

リベラルリフォームからベヴァリッジ報告まで

1900年代になると「救貧法及び貧困救済に関する王立委員会」という歴史的な委員会が設立されました。

そこには1897年の産業民主制論でナショナルミニマムを提唱したウェッブ夫妻が、少数派として参加をされていました。多数派(COS側)、少数派(ウェッブ夫妻側)で多数派が支持を受けたのですが、その結果に対して少数派の意見が立法化されるようウェッブ夫妻は全国規模の運動を起こしたとのことです。

その頃ドイツではイギリスに先駆けて社会保障関連法が整備されていきました。

ビスマルクを中心に、1883年「医療保険」、1884年「労災保険」、1889年「年金保険」といった社会保険というものが構築されていきました。しかしこれも当時は国民に反対をされたとのことです。

ドイツ連邦共和国 労働社会省ー未来にむけて図像と記録資料で綴るドイツ社会保障史

イギリスでは自由党のロイド・ジョージ蔵相がドイツの社会保険視察に行き、とても強い刺激を受けたとのことです。

そして1908年~1911年まで自由党の社会改革である「リベラル・リフォーム」によりイギリスの社会保障が大きく前進しました。

1906年「学校給食法」、1907年「学校保健法」、1908年「無拠出の老齢年金法」、1909年「職業紹介法」、1911年「国民保健法」など法整備が進みました。

特に1911年の国民保健法(疾病と失業保険)は世界初の失業保険となりました。

ちなみに日本では遅れて1922年に「健康保険法」が制定されました。これはドイツにならってできた最初の社会保険となりました。

このように世界では社会保障の基本的な整備がされていきました。

アメリカでも1935年に「社会保障法」が制定されました。今でいう社会保障という言葉を法律で扱われたのはこれが最初となっております。

当時世界恐慌を背景としたニューディール政策が行われました。このうち経済対策の一環として所得の低い労働者や高齢者などに所得保障を行い、社会福祉を推進するために制定されたとのことです。

その後世界は「第二次世界大戦」の幕が開かれます。

1941年に「大西洋憲章」というものが発表されました。これはイギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルトの会談(大西洋会談)で調印された憲章です。

この中の一つとして「”社会保障をすべての人に保障するための協力”」がうたわれていました。

イギリスではベヴァリッジによる報告である「社会保険および関連サービス」(ベヴァリッジ報告)が発表され、国民は戦後の世界に社会保障というものを大きく期待したのです。

そしてベヴァリッジ報告はイギリスのみならず、世界の社会保障に多大な影響を与えたのです。

ベヴァリッジ報告については以下の記事をご覧ください。

福祉国家と福祉国家の解体

イギリスは世界に先駆けて社会保障制度を進めていきました。

「ゆりかごから墓場まで」という手厚い社会保障は世界各国の目標とされたようです。

さらにイギリスは戦後パーソナル・ソーシャルサービスが発展されていきます。

1965年にはシーボーム報告(地方自治体社会サービス部を新たに創設、福祉サービスを統合化)

1982年にはバークレイ報告(コミュニティソーシャルワークを提唱)

このようにソーシャルワークの役割が拡張されていきました。

またイギリスは戦後福祉国家体制を進めていきました。福祉国家では貧困は発生しないとされておりました。

しかし後に1960年頃に「貧困の再発見」といわれる福祉国家体制における貧困の実態が明らかにされました。この「貧困の再発見」は同時期アメリカでも実体が明らかにされました。この貧困の中には「黒人奴隷」も多く、公民権運動もあり政治的にも対策が求められていました。

そしてアメリカでは亡きケネディ大統領の次の大統領としてジョンソン大統領が選任されました。ジョンソン大統領は「貧困戦争」と言われる大規模な貧困対策を行います。1965年に公的医療保険のメディケア(高齢者医療)、メディケイド(低所得者医療)が創設されました。

1960年代におけるアメリカの貧困対策ー貧困戦争を中心にー朴光駿

またその頃イギリスでは1970年代になると様々なストライキが頻発しました。街中がゴミで溢れることなど当時の写真をみたら驚くような光景があります。オイルショックを契機にイギリス経済は衰退していったのです。

そこで登場したのがサッチャーです。1979年から政権が移り変わり、サッチャー政権(保守党)がスタートしました。

「小さな政府」をスローガンに、福祉国家を否定する形で政策を進めていき、公的部門における社会サービスの縮小を図りました。

サッチャー政権化での政策には「グリフィス報告(コミュニティケア政策として)」、「ワグナー報告(入所施設の再検討として)」などがありました。

そして1990年までサッチャーは女性として歴史的国家であるイギリスを改革していったのです。

その後政権は1997年に労働党へ移り変わります。そこではブレア首相が数々の政策を展開して、時代は「福祉から就労」へと進んでいくのです。こうして福祉国家は次第に解体されていったのです。

このように社会保障はイギリスを中心として発展していきました。

過去記事と合わせると概要をより押さえることができると思います。

これらは社会福祉に携わる者であれば是非知っておいて欲しい知識です。

歴史は未来を築くためにあるのです。

次は日本に焦点を当ててみていきましょう。

日本の社会保障の歴史

恤救規則から救護法まで

我が国の社会福祉における制度は1874年の「恤救規則」に遡ります。

人民相互の情誼のもと、血縁や地縁、地域社会の重要性を挙げております。

当時国の政策は恤救規則しかなく、多くは民間の社会事業活動家がその役割を担っておりました。

石井十次が岡山孤児院

留岡幸助が家庭学校

野口幽香が二葉幼稚園

石井亮一が滝乃川学園

池上雪枝が感化院

などなどこれらは民間が中心となって発展していった歴史があります。

例えば感化法は1900年に制定されましたが、それ以前に感化院の先駆となる池上雪枝は1883年に感化院を開いたということがあります。他の方についても同様で「まず民間から始まって、それがやがて国の政策となる」流れがあるようです。

また余談ですが福沢諭吉の「学問のすすめ」を現代語訳版ですが少しばかり読みました。そこには政府ではなく民間の力によって切り開いていくという精神が込められておりました。学問のすすめは子どもの教材としても読まれており、広く国民に知れ渡っていたことから明治の時代において多大な影響を与えていたのかもしれません。

恤救規則から救護法までの流れについては以下をご覧ください。

戦後の日本

恤救規則から救護法の流れでは生活困窮において「怠惰」という概念が強くありました。

なので国は予算を組まないことがあり、救護法の施行が遅れたのです。

戦前は強兵の一環として政策が進められました。

1937年に「保健所法」、1938年には「厚生省が内務省から独立し設立」、1938年に「国民健康保険法」、1941年に「労働者年金保険法」、1944年に「厚生年金保険法」といったように制度は戦前からつくられていきましたが、本格的な運用がされる前に時代が戦後と移り変わるのです。

敗戦後はとにかく生きるための最低限度の生活を保障することから始まりました。

GHQによる指示を受けながら、旧生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法、新生活保護法と基本法が整備されていきます。

また一方で医療面でも緊急な課題が山積し、1947年に保健所法、食品衛生法、1948年には予防接種法、薬事法、医師法、医療法、1951年には結核予防法が整備されていきます。

その他労働法も整備されていきます。1947年には厚生省から分離独立する形で労働省が設立され、労働基準法、労働者災害補償保険法、職業安定法、失業保険法など制定されていきます。また1954年には厚生年金保険法が制定されました。

日本でも戦後に社会保障体制というものが本格的に構築されていきます。

そこで重要なのは社会保障制度審議会の勧告です。再興日本を掲げて強い意志のもと社会保障制度というものが構築されていったのです。この精神だけは忘れないでありたいものです。

経済成長期

1956年の経済白書のスローガンは「もはや戦後ではない」です。

しかし一方で厚生白書は「果たして戦後は終わったか」と述べ、多くの貧困等の課題を指摘したそうです。

その後1958年には国民健康保険法が改正され、3年がかりで国民皆保険に移行しました。

また年金でも1959年に国民年金法が制定され、1961年に「国民皆保険、国民皆年金」が実現したのです。

そして時代は池田首相の「国民所得倍増計画」のもと、高度経済成長期が始まるのです。

福祉元年

1973年は「福祉元年」と呼ばれます。福祉元年には以下の政策が行われました。

・医療保険では被用者保険の扶養家族の給付率が5割から7割

・老人医療費の無料化が全国で始まる

・高額療養費制度が創設

・物価スライド制

・賃金の再評価制度

このように1961年に国民皆保険・皆年金が実現したときと並び、契機となる年がこの福祉元年になります。

しかし1973年にオイルショックを契機に日本経済は低成長と言われる時代に突入します。さらに1970年は高齢化率が7%を超えるなど、年金、医療などの社会保障負担が増えていくことも予測されました。

その後1979年には一般消費税導入を掲げた自民党は選挙で大敗し、1980年は「増税なき財政再建」ということから社会保障においても大幅な見直しが行われました。

1981年には児童手当法の改正、1982年には老人保健法制定、1984年には健康保険法改正、1985年には年金法改正と展開されていきます。

老人保健法制定に伴い、福祉元年で導入された老人医療費無償化は「一部有料化」に変更され、年金法改正では「基礎年金の創設」など、”財政再建・国庫負担の削減”のもと改正が行われました。

平成の時代

平成になるとバブルが訪れましたが、やがてはじけました。

バブル経済の低迷と長期低迷、そして少子高齢化社会に対応した社会保障制度の構造改革がなされていきます。

平成元年である1989年には「高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)」が定められました。これにより1990年代は在宅・施設サービスが飛躍的に増進しました。

このゴールドプランを円滑に推進するために、1990年には福祉関係八法改正が行われました。在宅福祉サービスの推進と福祉サービスの市町村の一元化、老人保健福祉計画の策定義務(都道府県・市町村)などが整備されていきます。

そして20世紀の締めくくりとなる介護保険法へと時代は進んでいったのです。

このあたりの時代は今後記事にして追記していきたいと思います。

社会保障制度の変遷=厚生労働省

まとめ

いかがだったでしょうか。これまでイギリスを中心に福祉の歴史を辿ってきました。

社会保障制度というものは戦後に発展していき、まだ100年を経過していません。つまり福祉の歴史(制度)というものは他の分野と比べて歴史はまだ浅い方だと言えます。(福祉やソーシャルワークというものは何かと考えたら遥か昔に遡りもっと深くとらえることができると思います。)

これまで家族、親族、地域社会が担っていた助け合いを、法制度として全国的に進めるという時代になりました。その中で官僚制という形で進展し、情報や交通分野の計り知れない進展も合わさって、縦割りが促進され、地縁や地域社会の関係が薄れていきました。

それでも地域ごとの特有の取り組みが今光を指していく時代にもなりました。

今複合的で様々な困難な課題が個人や地域の中で山積する中、社会問題が顕在化(潜在化)されていると言えます。

とりわけ地域共生社会の実現は極めて重要なテーマとなっており、令和元年12月に最終とりまとめが行われ、社会福祉法等の一部を改正する法律がまもなく制定されていきます。

「地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会」(地域共生社会推進検討会)最終とりまとめ(概要)

地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律案の概要

福祉の世界にいて経験等はまだ乏しいですが、それゆえ感じることがあります。

それは自分の今いる時代や制度がどんなものなのか福祉に携わっている人はあまり知らない現状があります。ましてや自分より以前の時代ならなおさらなのです。また大学で福祉を専攻した人ばかりがいるわけでもありません。

私は社会福祉士の勉強をするまで、地域包括支援センターも社会福祉協議会も、介護保険も地域共生社会も法律や制度も何も知りませんでした。もっと言えば、社会福祉と社会保険の違いを明確に答えることもできないレベルでした。

おそらくこれは福祉に携わっている多くの人の現状なのだと感じます。またそれは福祉の制度やサービスの領域が広範であることや、一般的な認知(特に若者は福祉サービスに関わらない)の問題、自分の携わっている領域やサービスすらもよくわからないという実態もあると感じます。

まず最初は現場で下積みするのが対人援助の世界でもあるからです。

もちろん制度やサービスだけでなく、対人援助における基本的な心構えや、心理学等の専門知識、アプローチ等、簡単に言えば「知らないがゆえに苦労する」こともあります。

例えば、障がい者福祉分野の歴史ではティーチプログラムの存在を知って活用するのと、そうでない場合では圧倒的に違います。また納得を無視して説得すれば、ブーメラン効果が働きうまくいきません。

また今キャリアアップが求められている時代です。かつてあった終身雇用制度というものは崩壊したといってもいいでしょう。

これは日本特有の傾向で、それこそアメリカは在職中に次のためのスキルとつけて次々と転職を繰り返しながらキャリアを磨いていきます。(※キャリアアップ=転職というわけでは決してありません。)

今は国の制度で在職中でも使える「教育訓練給付金制度」があります。社会福祉士の養成における費用を最大70%補助する制度や、専門職大学院の学費も50%補助してくれる制度があります。実はこれはあまり知られていない実態があります。アンテナを張っていないと情報はつかめないのです。

私が思うに、福祉には「伸びしろ」がたくさんあると言えます。

外部から人を招いたり、動画制作やホームページを充実させるだけで、他の事業所と差別化が図れるともいえる現状があります。まだまだ「伸びしろ」があり、色々な特技をもった人たちが活躍できるフィールドとも言えるでしょう。

その可能性と面白さに気づいた今、多くの人にその魅力を発信していきたいと考えています。

民間企業で現状維持は後退です。人生のほとんどが「仕事」というものでウエイトが占められているのであれば、その仕事にやりがいや面白さを感じる方が遥かに充実していると言えるでしょう。

ただ仕事をしていると苦労も果てしなく多いはずです。それなら仲間同士でつながりあって何とかしましょう。ネットワークを広げることは日々の仕事における心の余裕や活力を生み出すことにもつながります。

そんなことを考えながらこれまで記事をまとめてきました。

是非少しでも多くの方に知ってもらえるよう努めることと、日々困りごとや悩みごと、こうしたいという想いがある人たちに対しても何か力になることができればとも考えております。

最後が長くなりましたが、これまでの記事のまとめとして「社会保障の歩みを辿る」でした。

ここまで読んでいただきありがとうございました。次回もまたよろしくお願いします。

〇参考文献:はじめての社会保障 椋野美智子・田中耕太郎(著) 有斐閣アルマ 第8章 社会保障の歴史と構造 P251~268

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