みなさんは「ハンセン病」という言葉をご存知でしょうか。

恥ずかしながら私は30年間「ハンセン病」という言葉すら知りませんでした。

日本におけるハンセン病の歴史は「人権問題」と「無知というものが差別や偏見を生む」ということを教訓として後世に残してくれました。

そこで今日はハンセン病について簡単に記事を書いていきます。

ハンセン病から学ぶ

ハンセン病とは

まずハンセン病についての以下簡単な説明になります。

ハンセン病とは-日本財団

https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/about

以下引用になります。

〇ハンセン病とは

人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つであるハンセン病は、らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。1873年にらい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

〇ハンセン病の症状

らい菌の増殖速度は非常に遅く、潜伏期間は約5年ですが、20年もかかって症状が進む場合もあります。最初の兆候は皮膚にできる斑点で、患部の感覚喪失を伴います。感染経路はまだはっきりとはわかっておらず、治療を受けていない患者との頻繁な接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するものと考えられていますが、ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫があります。そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われています。

初期症状は皮膚に現れる白または赤・赤褐色の斑紋です。痛くも痒くもなく、触っても感覚の無いのが特徴です。現代では特効薬も開発されており完治する病気です。治療をせずに放置すると身体の変形を引き起こし障害が残る恐れもありますが、初期に治療を開始すれば障害も全く残りません。

〇ハンセン病の歴史

ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから、患者たちは何世紀にもわたり社会的烙印(スティグマ)を押されてきました。古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、数多くの古い文書に残っている記述からも、ハンセン病は、有史以来、天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきたことが判ります。

日本でも8世紀につくられた「日本書紀」にハンセン病に関して記録が残されています。歴史上の人物では戦国武将の大谷吉継がハンセン病に罹患していたとされ、病気に関わる逸話が伝わっています。また古い時代から日本の患者には、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」と呼ばれた方も数多くいました。その後、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」が制定され、苦難の歴史は続きました。療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められました。

海外では1873年にノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見。1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至りました。ハンセン病は完全に治る病気になっています。

〇ハンセン病と差別

ハンセン病に罹患した人びとは遠く離れた島や、隔離された施設へ追いやられ、自由を奪われ「leper」という差別的な呼ばれ方で、社会から疎外された状態で生涯を過ごすことを余儀なくされました。

ハンセン病はもはや完治する病気であり、ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無です。にも拘わらず、社会の無知、誤解、無関心、または根拠のない恐れから、何千万人もの回復者およびその家族までもが、ハンセン病に対する偏見に今なお苦しんでおり、こうした状況を是正する社会の取り組みは遅れをとっています。あらゆる時代、あらゆる場所で、国、地域社会、学校、企業、病院、あるいは宗教団体も含めた組織がハンセン病患者とその家族に対して行ってきたことは、まさに重大な人権侵害であり、彼らの尊厳を傷つけてきました。生涯にわたる強制隔離、社会サービスの制限、労働市場における差別は、ハンセン病患者に対する人権侵害のほんの一部にすぎません。教育、結婚、あるいは住む場所を見つけることにすら、かれらの前には壁が立ちはだかっています。

このようにハンセン病は今は完治される病気となっておりますが、日本ではプロミンという特効薬が来て保菌率がほぼゼロになったにも関わらず、完治していても「らい予防法」による強制隔離が長きに渡って継続されてきた歴史があるのです。

佐川修さん講演/語り部活動

国立ハンセン病資料館HP http://www.hansen-dis.jp/

資料館にはハンセン病の人たちが生きてきた歴史がつまっております。

語り部活動ということで、学校、自治体、公共団体に対してDVDや写真パネルの貸し出しを行っているそうです。アンテナを張っておきたいと思います。

また語り部活動として、YOUTUBEの動画でも元ハンセン病患者の佐川さんの講演がアップされております。

私はこれを聴いて、ハンセン病という言葉も知らなかった自分、時代に釘をさされたかのようでした。

ハンセン病患者は、発症すると警察が手錠をはめてつれていかれて、ヤギとかと同じ貨物列車で運ばれて、療養所という監獄に隔離される、そこには療養所なのに外に出ないよう警察がいる

家族が感染にかかる、守秘義務があるにも保健所は村人に話してしまって、一家9人はもうここには住むことができないと心中してしまい、

何度も療養所に来る息子は、親を心配してなんて親孝行だと周りから思われていたが、実際は親に「死んでくれ」と何度も懇願する・・そんな歴史が日本で起こっていたのです。

例えプロミンという特効薬がきて完治しようが、一生療養所へ入れたら死ぬまで出さない。それが日本のらい政策であったと。そして人権を取り戻すための法律廃止に向けて、またこのままじゃ俺たち死ぬに死ねきれないと、ハンセン病患者が組織をつくり運動し、国に裁判を起こし、アクションを起こしました。これがソーシャルアクションの一例です。

是非この動画を多くの人に届けたい。福祉やってます、介護やってます、しかし世の中に排除されてきた人たちがたくさん見えない部分で歴史にいることを知らない、それを知っていれば目の前の人への接し方や見方も変わるはずです。

これは福祉の人のみならず、経済主体の社会を生きている人にも伝えたい。経済の祖アダム・スミスは「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」が大切だと言っていたのです。

ツイッターで拡散するのは、世間の不倫だ、不祥事だ、悪口だなどではなく、もっと大切なものがあるのではないでしょうか。

宮崎駿さん語るもののけ姫とハンセン病

宮崎監督は、ハンセン病療養所の近くに住んでいたそうです。

佐川さんとも親交が深かった宮崎監督は資料館を建てる際に、世の中にはこんな風に生きてきた人がいるという証拠が山のように出てきて、おろそかに生きてはいけないと強く胸を打たれたそうです。

そして映画もののけ姫は、世の中は武士と百姓だけでつくってきたわけではなく、とりこぼされた多くの人たちでつくる世界をつくるという意思のもと、ハンセン病患者をもののけ姫に登場させたのです。

まとめ

今コロナ渦で大変な世の中になっております。

しかし、いつの時代もどこかで誰かはそうだったのです。

弱さを置き去りにした社会が浮き彫りになったのではないでしょうか。

また「無知というものが差別や偏見を生む」

これはまさに今求められているものです。

コロナに感染してしまいました。

そんな子どもがいたら、たとえ完治しても、差別や偏見の目で周りから見られるかもしれません。

それは絶対にしてはいけないことです。

あの田舎のあの人は、都会にいって感染症を持ってきた。なんて奴だ。

そんなことが一たび火種で始まったら、ハンセン病の歴史の二の舞になります。

賢者は歴史に学ぶ

それは戦争を知らずして戦争を起こさないよう

教訓とは、代々伝わる民話のように、語りついでいくものなのです。

そんなことを感じました。

話は変わりまして

今年はたくさんの出会いと学びがあり成長の年となりました。

ブログ記事でアウトプットしながら、学んだ力が身を結んだ面もあります。

しかし過去記事をみると、訂正しなければならないことが山積みでまだまだです。

充電期間を経て、さらに二回り成長しました。

来年もよろしくお願いいたします。

追記

ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会様 

https://www.hansen-wh.jp/

私たちの取り組みより引用

偏見と差別のない社会こそ、ハンセン病患者の生きた証。 心の底から、そう思える日を目指して。私たちは記憶という財産を次世代に引き継いでいくため、ハンセン病療養所内の建造物・記録物を「ユネスコ世界遺産」に登録することに取り組んでいます。

このように「未来につなげたい、大切な記憶」をキャッチフレーズに、ハンセン病療養所の歴史を世界遺産にしようという取り組みもあるようです。

興味のある方は是非こちらもご覧ください。

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