テーマ「岡村重夫の社会福祉原論を読む」

皆さんは岡村重夫先生をご存知でしょうか。岡村先生は大阪市立大学の名誉教授であり、社会福祉の世界では「岡村理論」として有名な方です。著書には「社会福祉原論」や「地域福祉論」などあります。

岡村先生はH13年12月にお亡くなりになったのですが、その後も社会福祉の研究者らによる「岡村理論の継承と展開ー第1巻~3巻」が出版されるなど、今もなおその功績は衰えることはありません。

また以下紹介です。

岡村重夫氏講演録:社会福祉法人 水仙福祉会 アイ・サポート研究所 http://www.suisen.or.jp/i_support/okamotoriron.html

水仙福祉会のHPでは「共に生きる」「現代の社会福祉の特徴」「岡村先生福祉の心」の講演録が掲載されております。岡村先生の講演録はとても貴重なものとなっており、水仙福祉会だけのものとして扱うことはもったいないということから、HPに掲載されたとのことです。

岡村先生のリアルな言葉の数々はきっと大きな気づきを与えてくれることでしょう。是非一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

それでは本題に入っていきます。

自発的社会福祉と相互扶助

自発的社会福祉

今日本の社会福祉制度は時代の積み重ねの賜物として幅広い分野に渡って展開されております。しかし社会福祉というものは制度がすべてをカバーしてくれることは難しいものとなっております。

社会福祉の発展を辿ると、例として社会保障制度が構築されていったのは第二次世界大戦後となっているように、制度がスタートではありません。もっと遥か昔の時代から社会福祉の源流は存在しているはずです。いつの時代もいるのはいわゆる「ヴァルネラブルな人たち」であり、介護福祉士や社会福祉士、ケアマネージャーやソーシャルワーカーという言葉はそもそもありませんでした。

先ほどの岡村先生の社会福祉原論によれば、社会福祉は「法律による社会福祉(statutory social service」と「自発的社会福祉(voluntary social service)」に分類されるとのことです。

このうち「法律による社会福祉」は福祉六法や制度に基づいたサービスとして位置付けられており、福祉の実践者や支援者が主に属する領域となります。しかしこれが全てであってはいけないということです。

~中略

しかし法律による社会福祉が社会福祉の全部ではない。いな全部であってはならない。

法律によらない民間の自発的な社会福祉(voluntary social service)による社会福祉的活動の存在こそ、社会福祉全体の自己改造の原動力として評価されなければならない。

「法律による社会福祉」が法律の枠にしばりつけられて硬直した援助活動に終始しているときに、新しいより合理的な社会福祉理論による対象認識と実践方法を提示し、自由な活動を展開することのできるのは自発的な民間社会福祉の特徴である。

それは財源の裏づけもなければ、法律によって権威づけられた制度でもない。

しかしそのようなことは自発的社会福祉にとって問題ではない。

問題なのは、たとえ小規模であっても、これを実証してみせることであり、また「法律による社会福祉」の側がこれを謙虚に受けとめて法律を改正し、その時々の社会福祉全体をいかに発展させるかということである。


社会福祉原論 岡村重夫 全国社会福祉協議会 第1章 社会福祉の発展 P3より

このように社会福祉は制度がそのまま社会福祉なのではなく、また社会福祉に限っては法や制度は常に超えられていく必要があるとのことです。

この岡村先生の言葉はこれからの時代において、より重みが増してくることでしょう。

こちらはまだ孤児院という言葉もない明治の時代に、岡山孤児院を設立した石井十次の記事になっております。このように「今制度として展開されているものも、もともとは自発的社会福祉であった」という事実は我々に多くのヒントを与えてくれるはずです。

今福祉はある意味転換期となっているように感じます。ICT化の推進は一つのキーワードとなってくるでしょう。

福岡100-人生100年時代の健寿社会モデルをつくる100のアクションhttps://100.city.fukuoka.lg.jp/

福岡市地域包括ケア情報プラットフォーム:ICT地域活性化ポータルhttps://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/local_support/ict/jirei/2017_019.html

この福岡の例はまだ認知度は大きくないのですが注目するべき先駆的事例です。それこそビックデータの活用により今までできなかったスタイルで地域包括ケアシステムが展開されております。このように制度は常に超えられていくものなのです。

これからの時代、より一層早いスピードで様々なことが進んでいくことが予感されます。今こそ福祉側の人間が国の方針で動くといった受動的な姿勢ではなく、転換期という意識をもって積極的に改革を進めることが求められるタイミングなのかもしれません。

相互扶助

今制度や政策は全国規模として展開されておりますが、もともとは小規模ごとで助け合いが行われておりました。いわゆる相互扶助です。

かつて農業主体の世の中は「ゲマインシャフト」と呼ばれる伝統的共同体が中心の社会でした。そこでは同じ地域に生活する者に対して仲間意識が自然と芽生え、「ユイ」「モヤイ」「テツダイ」など多くの相互扶助の慣習がありました。この社会では、他人の苦痛が同時に自分の苦痛と感じられるようになるとのことでした。

時代は工業化の時代へと進み、とりわけ都市部においてはかつてあった相互扶助の慣習や共同体の絆は失われていきます。そこでは合理化や分業化が重要視され、いわゆる縦割りや番号で管理される世の中になっていきます。

しかし相互扶助は失われたのではなく、日本では冠婚葬祭や災害時にその機能をみることができます。また地方では今も相互扶助が根強い地域も存在します。その他クラウドファンディングという新しいスタイルで支援や応援をすることもできるようになりました。

ミクマリの里:伝導詩人えいたhttps://micumari.com/sato/

ミクマリの里では昨年度100人を超える人たちで手作業で稲刈りを行ったとのことです。いわゆる「ユイ」に近いものと言えるでしょう。その他記事をフォローしていると相互扶助の色合いがよくみられる光景がアップされております。

前置きが長くなりましたが、以下相互扶助でよく出てくる「ユイ」「モヤイ」「テツダイ」などについて簡単に確認していきます。

※ゲマインシャフトや工業化などの社会学用語については以下にまとめております。

ユイ

~中略

田植えや稲刈り、屋根葺きなどで労働力を交換する「互酬的行為」としてのユイ(双方向性の行為)である。

その行為性は「双務性」であり、二人分の労働力の提供を受ければ二人分のそれを返すという等量等質の交換行為で、双方が義務を負う対等な社会関係に基づいている。

これには「個人的ユイ」と「集団的ユイ」があり、全社は単独の世帯間での双方向の行為だが、後者はユイ組内の一軒に対して順に労働力を提供する行為でグループ内を回す仕組みである。


論文 東アジアの互助社会 ー日本と韓国、中国、台湾との互助ネットワークの比較 恩田守雄 社会学部論文叢 第26巻第1号P63より

このように「ユイ」とは、田植えや屋根葺き(ヤネフキ)のように近隣間での労力交換による相互扶助のことをいいます。

屋根葺きと聞くとあまりイメージがわかないと思います。そこで世界遺産となっている白川郷の動画を紹介します。現代もユイの精神を大切にされているとのことです。

モヤイ

モヤイ(中心性の行為)は山や海、川など共有地(コモンズ)の維持管理や道路補修(ミチナオシ)、溝の清掃(ミゾサラエ)などの村仕事で見られ、労働力を集約しその結果得られた成果(財やサービス)を分かち合う「再分配的行為」である。

すなわち様々な行為をいったん中央に集約し、その集合的行為の成果をメンバー間で集約する。

論文 東アジアの互助社会 ー日本と韓国、中国、台湾との互助ネットワークの比較 恩田守雄 社会学部論文叢 第26巻第1号P64より

このように「モヤイ」は共同生活における慣行であり、一員である限り義務を伴うものだったそうです。不参加者には過怠金を科される場合もあったようです。モヤイには「労力モヤイ」や「物品モヤイ」、「金銭モヤイ」などがあったようです。

テツダイ

テツダイ(一方向性の行為)は冠婚葬祭の世話や天災地変のときの救助活動など、片方だけが務めと感じて相手から返礼を求めない「片務性」の「支援(援助)的行為」である。特に冠婚葬祭の「葬」では「不幸帳」や「見舞帳」をつくり、後日の返礼に備え記帳することが多かった。

論文 東アジアの互助社会 ー日本と韓国、中国、台湾との互助ネットワークの比較 恩田守雄 社会学部論文叢 第26巻第1号P64より

このように「テツダイ」は火災や病気など出費の多い家族に対して、親族や近隣の方がお金や物資を送る慣行のことをいいます。これは今の日本でも比較的よくみられる相互扶助の慣行なのかもしれません。

組と講

こうした日本の互助行為は「組」や「講」という組織を通して行われた。前者は主として世帯単位での加入が事実上義務づけられるフォーマルな組織で、後者は個人単位で加入が任意のフォーマルな組織である。

論文 東アジアの互助社会 ー日本と韓国、中国、台湾との互助ネットワークの比較 恩田守雄 社会学部論文叢 第26巻第1号P64より

このように「組」という地域組織を基盤として相互扶助は展開されてきました。このように全国一律ではなく、昔はこういった地縁関係をもとに地域ごとに支え合い、助け合いが行われておりました。

時代を遡ると、奈良時代の大宝令(701年)には「鰥寡孤独貧窮老疾のために生活できない者は、まず近親者がこれを養い、もし近親者のいないときには村において保護せよ」と規定されていたようです。

また1874年の恤救規則においては「貧しい人々がいる場合にそれを救済するのは、まずは家族、親族そして隣近所の地域社会が、血縁・地縁に基づいて行うべきもの」と規定されておりました。

このように相互扶助というものは日本では古くから色合いが濃いものとして、つい100年前まで法制度としても存在していた事実があるのです。

しかし相互扶助にも限界があって「よそもの」に対して援助が働かないことがありました。「お互い様」という言葉には「平等」という意味合いが込められており、ゲマインシャフトの社会を表す言葉として捉えることもできます。

以上簡単にではありますが、相互扶助についてのまとめでした。

向社会的行動/何が人を動かすのか

「地域や他者のために自己犠牲できる人の人生は素晴らしい」という言葉があります。それはいったいどのような意味合いなのでしょうか。

”向社会的行動(prosocial behavior)は、「他の個人や集団を助けようとしたり、こうした人々のためになることをしようとしてなされた自主的な行為とされている。(Eisenberg1982:Eisenberg&Mussen1989)、行動の例としては、寛容さ、同情を表す、持ち物を分ける、慈善団体への寄付、不平等や不正を社会から追放することによって福祉を高めようとする活動への参加などが挙げられる(宗方、1992)”

引用:小学生がおこなう向社会的行動ー向社会的行動の対象と種類に関する自由記述の予備的検討 斎藤信 杉山佳菜子https://www.suzuka.ac.jp/wp-content/uploads/2020/03/11kiyou_saito-1.pdf

このようにNPOや市民団体、個人や企業・法人などにおいて、人々や社会・環境等に向けて働きかけ行動する方々がたくさんいます。そのような方々の行動を表す言葉として「向社会的行動」が一つの例としてあります。

福祉というものはそもそも仕事ではありませんでした。きっとどこからか湧き出てくる「何か」の存在が大きくその人を動かしていると考えます。「人」という漢字も古くから支え合って生きることを表しております。

この「何か」ついて考え調べていると、コーチングの世界で有名なアンソニーロビンズの「Why We Do  What We Do(何が人を動かすのか)」にヒントがありました。

人間には6つのニーズというものが存在しております。

〇人格的ニーズ

・Certainty(確実性)

・Uncertainty/Variety(不確かさ)

・Significance(重要性)

・Love/Connection(繋がりと愛)

〇精神的ニーズ

・Growth(成長)

・Contribution(貢献)

このように私たち人間のニーズとして「貢献」というものが備わっているのです。以下「百聞は一見に如かず」です。動画の方を是非ご覧になってみてください。(日本語字幕あり)

二宮尊徳の報徳思想

岡村重夫先生の参考文献をみると「P・クロポトキン」「二宮尊徳」らの名前が入っておりました。相互扶助において、後年まで影響を与えたものとして西欧では「P・クロポトキンの相互扶助論」、日本では「二宮尊徳の報徳仕法による地域開発の理論と実践」と岡村先生は言っております。

また岡村先生は二宮尊徳が「勤労と倹約の模範」ばかりが伝えられるといったわが国の風潮の誤りを指摘されております。確かに日本では歴史上の人物がまるでクイズ番組のように扱われている実態は否めません。「福沢諭吉=学問のすすめ(これはタイトルにしか過ぎない)」となっているようにその実態を知る人は少ないのです。

二宮尊徳の報徳思想に学ぶー人口減少・財政破綻・低成長時代をどう生きるー八幡正則・雑誌名鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要2巻https://core.ac.uk/download/pdf/144568728.pdf

二宮尊徳の教えは「四綱領」と言われているそうです。

・至誠

きわめて誠実なこと・まごころ(広辞苑)

また二宮尊徳は心で思っていても実行によってあらわさなければ意味がないとのことで「わが道はもっぱら至誠と実行にある~」と実行の重要性を述べていたそうです。

・勤労

心身を働かせて仕事に励むこと(広辞苑)

「勤労は衣食住を得るため」と合わせて「勤労は人道なり」と利害や打算からくるものではなく、勤労は誠実でなければならないとも述べていたそうです。

・分度

二宮尊徳の創始した報徳仕法で、自己の社会的・経済的実力を知り、それに応じて生活の限度を定めること(広辞苑)

「分度をもって体となす」と述べ、一家=家計、企業=経営、国・都道府県・市町村=財政のように基本となるものを指しております。また分度の中で暮らしを行い、分度外は世のためになることをするとも述べております。

・推譲

単なる社会奉仕ではなく、神道から汲んだ「報徳的推譲」とのことです。

人々は自分の生産物を自分の代に全部消費しつくさないように、田畑や道路、町といった社会資本/インフラを整備し、先祖は後世に遺産として残してきました。二宮尊徳は「人類の発展の基本は社会資本の蓄積すなわち推譲である」と述べていたそうです。

以上簡単でありますが四綱領の紹介です。詳細は先ほどのリンク先を是非ご覧ください。

まとめ

いかがだったでしょうか。以上「自発的社会福祉と相互扶助」について記事とさせていただきました。

歴史学者であり、サピエンス全史や21Lessonなどで有名なユヴァル・ノア・ハラリは、これからの時代はこれまでに前例のないことが次々と起きてくること、今までの歴史や常識が通用しない世の中になることを予見しております。そのような時代においては「自発的社会福祉」というものがまさに必要となってくるのかもしれません。

またアンソニーロビンズが言っていたように私たちには「成長」と「貢献」というニーズが備わっております。変化が目まぐるしい時代において、私たちは成長し貢献することで、後世にその遺産を残していけるのかもしれません。

今現代社会ははまるで車の部品のように、「この車に合う部品はいい部品で、合わない部品は悪い部品」となっているように感じます。そのような現代社会を日々もがきながら人々は生きております。私たちは機械ではなく人であり感情や心が存在します。

一方でフーコーの理論を考える上でもよく出てくるパノプティコン効果というものがあります。私たちは監視社会や慣習社会、マスメディアの情報によって自らが自らを支配していることに気づかずに、他者を支配し自分を傷つけてしまうことがあります。

人生の豊かさとは経済的な豊かさとは限りません。日本における死生学のパイオニアであるアルフォンス・デーケンは、若いうちは所有を大切にするが、年を老いてくうちに内面的豊かさが大切になってくると言っておりました。また世界的に有名なナポレオンヒルは「成功者とは自分らしい人生を送ることのできた人のこと」と言っております。お金は必要不可欠でありますが、全てではないのです。

このように「人生の豊かさ」「内面」「成長と貢献」といったキーワードをみると、福祉の世界と非常に関係ががあるように感じます。そして福祉というものはどんな人においても本来DNAとして備わっているものです。私たちはそのような視点や見方を世の中に教えてあげる必要があります。それが即ち「福祉を文化にする」ということでもあります。そこでは「与える文化」を育み「貢献することの喜び」に気づくことが重要であるかもしれません。

私の書く文章は間違っているかもしれません。それでもみなさんと一緒にこれからの時代を切り開いていきたいと強く願う次第であります。今後ともよろしくお願いいたします。

参考文献:社会福祉原論 岡村重夫 全国社会福祉協議会 第1章社会福祉の発展 P2~13

追記:最後に阿部志郎先生の講演を掲載させていただきます。

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